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建築における格言 - 建築様式の循環


概要

 とあることがきっかけで「More is different」というP.W.Anderson の格言を思いだした。建築にも「More is XXXX」や「Less is YYYY」などのアフォリズムがあることを知り、折角ならそのあたりの情報をまとめてみようというので書いてみたのが本記事である。

「More is Different」

 物理学界隈ではこういった格言がある。「More is Different」。 ノーベル物理学賞を受賞した物性物理学者P.W.Anderson が1972年にScience紙に寄稿した論文である。より細かく分解していくと現象を理解できるという還元主義的アプローチを否定し、集合したモノ(More)に関する現象は下位構造からは理解できない多様性が存在する(different)という趣旨である。例えば、この世界で最下部の構造を研究対象とするのは素粒子物理学であるが、素粒子やの集合体である原子や分子のダイナミズムを研究対象とする化学や物性物理の現象は素粒子物理では説明できない多様性が存在しており、そういった上部階層にはその階層特有な現象が発生するということである。

 個人的にも、万物の理論「Theory of Everything」を追い求め、最小単位である領域を研究対象とする素粒子物理学こそ一番重要な領域であると思っていた時期もあったが、この格言によって目を見開かされ、そういった自分の了見の狭さを反省したものである。

 こういった格言は、建築界にも存在する。

建築様式の循環

 モダニズム、ポストモダニズムを大きな流れの一部として理解するために、簡単に建築様式の流れについて触れる。建築様式もいくつかの時代に分けることができ、ある種の流行の波が垣間見える。欧米建築様式は「単純・簡素・一様」と「複雑・豊穣・多様」という様式を交互に繰り返す循環構造があると言われる(※1)。20世紀にフォーカスしてみると、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエなどを代表とするモダニズム建築は「単純・簡素・一様」な様式であり、その次の時代分類であるポストモダニズム建築は「複雑・豊穣・多様」な様式となっている。

 例えば、日本におけるポストモダニズムを代表とする建築として、隈研吾設計のM2や、丹下健三設計の東京都庁舎などがある。M2ビルの外装は、古代ギリシャ様式を彷彿とさせるある種の豊かさや多様さを感じさせる。

M2ビルhttps://ja.wikipedia.org/wiki/M2ビル_(世田谷区)

※1 ) 「ゼロからはじめる[近代建築]入門」 彰国社 2023年

「Less is more」- モダニズム

 モダニズム建築において三大巨匠と評されるミース・ファン・デル・ローエの有名なアフォリズムが「Less is more」である。ミニマリズム的なモダニズム建築を表する言葉として明瞭かつ端的に示した表現と言える。

 「より少ないことはより多いこと(=豊かなこと)である」は、単純に不必要な要素を削ぎ落とせばよいということではなく、削ぎ落とすことによって自由で洗練された機能美がもたらされプラスに転ずるということを意味する(※2)。こうした哲学をベースに、ミース・ファン・デル・ローエは透明性・開放性・空間の流れを重視し、ガラス・鋼・コンクリートなどの現代的な材料を使用して、機能と形式の統合を実現している。

 現代でいえば、この金言に影響を受けたのかはさておき、まさにスティーブ・ジョブズがAppleのIPhoneやMac の設計哲学はそれに非常に近いものがあるといえよう。無駄な機能や装飾はなく、シンプルでありかつ機能美を追求する姿勢は同じような設計思想を感じさせる。

※2 ) 「建築思想図鑑」 学芸出版社 2023年

「Less is a bore」- ポストモダニズム

 1991年にプリツカー賞を受賞したアメリカの建築家ロバート・ヴェンチューリによる言葉である。「Less is a bore」は、モダニズム建築を表する「Less is more」を皮肉った言葉である。複雑性(Complex)を主としたポストモダニズム的立場から過度に単純(Simple, Minimal)化されたモダニズム建築を「退屈である」と評する。ある種非常にわかり易い表現である。ヴェンチューリは禁欲的で単純化されすぎたモダニズム建築を批判し、建築における多様性や対立性を重視し、モダニズム建築に疑問を呈した建築家だと言える。

「Yes is more」

「Yes is More」とは、ビャルケ・インゲルス(Bjarke Ingels)と彼の建築事務所BIG(Bjarke Ingels Group)による建築哲学である。この言葉は、建築におけるポジティブなアプローチと、伝統的な建築の慣習や制約に対する挑戦を象徴している。ビャルケ・インゲルスは、建築が社会的、環境的課題に対してより積極的な役割を果たすべきだと主張し、そのためには「Yes」という姿勢が必要とする。

「More is more」

 現代建築家の中でも著名な建築家の一人であるレム・コールハースの建築思想に関わる言葉である。様々解釈が存在するようだが、彼の「ビッグネス」という考え方と密接に関係があることは言葉の意味を考えれば明白と思われる。

 ビッグネス=巨大建築においては、その巨大さ故に、小さいスケールで重要とされてきた原理が通用せず、その様式や都市からも独立した存在となる。極めて雑に要約すれば、小さいスケールにおける建築では、例えばコルビジェの近代建築5原則で重要視されるファサードがどうだピロティーがどうだという話になるが、ビッグネス建築になるとその巨大さ故にそんな細かいことはどうでもよく、ただただデカい・・・といった異なる原理で我々が認識する、といった意味であると思われる。

 これは最初に紹介したP.W.Andersonの「More is different」と近い概念であると思われる。スケールが大きくなると、その下部構造(もしくはより小さい領域で通用していた原則)では規定されない異なる多様性が生まれるという点で共通していると感じる。

 無論、建築と物理学という異なる領域における格言ではあるが、このように領域を超越した共通的な話は極めて面白いと個人的には思うところである。

結び

 P.W.Andersonにおける物理学における格言と建築業界における(文言的に)似たような格言を紹介した。端的に表現しつつも大いなる意味をもつこうした格言は有る種の「Less is more」であるなぁーと思いつつ筆を置く。